今、楽しくてしょうがねぇや、落語

昨日はクリスマスだってのに、急に地元で相方夫婦&その娘(1歳半)と食事。ちょっと前まで痛風の恐怖を味わっていたにも係わらず、つい70%ぐらいが魚卵で構成されてる子持ししゃもやアン肝を食っちゃって、全部食べ終えてから「ハッ!尿酸値が上がる!」って。それもビール飲みながら。オレはバカか?お陰で夜中の3時からお腹下してるTARです。


志の輔らくごに行ってからコッチ、ず〜っと落語がマイブーム。早速、志の輔師匠のCDを買って、朝晩の電車ん中で聴いてる。落語ってのはご存じのとおり、噺家がたった一人、舞台中央に座ったままで複数の登場人物を演じ分ける伝統芸能。しかも、使える小道具は扇子と手拭いのみ。まさに噺家のテクニックとセンスが問われる一人舞台。もちろん観客も、噺家の仕草や口調で登場人物を見分ける必要があり、想像力と理解力が問われる、非常にクリエイティブなエンタティンメント。飲食物を扱うお店で食材をオモチャにした撮った写真をネットに晒しちゃうような想像力のないバカが多い昨今、是非とも落語を聴いて想像力を鍛えてもらいたいモンですな。


ただしその前に、観客も「んじゃ笑わせてもらおうか」と”受け身”で高座を観に来ても全然面白くない。現代の世相を風刺した新作落語は別として、古典落語では時代背景が江戸時代であるコトが多く、観客もある程度の予備知識を持っていないとストーリーが分からないし、面白くない。つまり笑えない。例えば「へっつい」。今で言えば「かまど」のコトだけど、そのかまどだって、完全に廃れて過去の遺物。知らないと「え?へっついってナニ?」ってコトが気になって、物語世界に入り込めなくなる。あとは「廓」とかね。落語には廓噺ってジャンルがあるくらい頻繁に出てくる単語だけど、これも今じゃ廃れた「遊郭」、つまりは、商売女が居て、男が遊びに行って、お酒を飲んだり料理を食べたり、その後にムニャムニャする・・・そういうお店のコトですわな。江戸時代は武家社会ですから、江戸には各藩から武士を集められ、様々な公務にあたっており、男の数が多かった。また江戸城や寺社仏閣の改修等で全国から腕のイイ職人が招集され、そのまま居ついてしまうコトも多く、男女比は3:1とか4:1だったらしい。完全に女性の売り手市場。そのため、所帯を持たずに独身のままの男性も多く居たらしく、そういう男性のムニャムニャを解消するために幕府公認の遊郭を作ったのが、現在は”泡の国”として有名な「吉原」です。まぁ、ココまで詳細な知識は必要ないとは思うけど、廓がどういうトコロなのかって程度の知識がないと面白みが半減してしまうのは事実。



そういう落語の予備知識や裏話を面白おかしく解説してくれている本がコチラ。日本の四季に応じた演目を一席と、そのあらすじ、背景や成り立ち、当時の江戸の庶民の生活までもが事細かく載っていて、昔の生活を知るって意味の読み物としても非常に面白い。トータル70席の噺のあらすじが掲載されているので、自分好みの噺を探す楽しみもあります。これから落語を楽しみたいという初心者から、落語をもっと楽しみたいと思っている上級者にも楽しめる一冊。
元々は朝日新聞の夕刊に月イチで載っていた広告記事をまとめたモノなので、読んだコトがある人も居るかも。著者の三遊亭竜楽師匠は、五代目圓楽(前・笑点の司会者ね)のお弟子さんで、欧州に落語の公演に行く程、語学堪能の噺家さん。もちろん現地では現地の言葉で公演を打つので、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語での公演実績があるってんだから、相当アタマがイイんだと思う。しかも、全く文化が違う国で日本の古典芸能を観せるんだから、その苦労は想像するだけで大変なモノ。例えば、江戸落語では蕎麦がよく出てくる。多分、日本人なら誰でも噺家が扇子を箸に見立てた蕎麦を啜る仕草を見たコトがあると思う。でも、欧米では音を立ててモノを食べるのは絶対的なタブーなので、それを理解してもらうトコロから始めなきゃならない。そういった工夫・苦労をされた師匠だからこそ、日本の落語初心者にも分かり易い説明・解説が出来るというモノ。ひと通り読んだら、多分、生で落語を聴いてみたくなると思います。


巷でも、ちょっと前のクドカンのドラマ『タイガー&ドラゴン』あたりから落語が静かなブームとして続いています。
こういう変化の激しい時代だからこそ、伝統の様式美というモノが見直されてるのかも。歌舞伎もそうだけど、長く続いてるモノにはそれなりに理由や魅力があるモンです。是非、寄席に足をお運びいただき、生で落語を味わってみてください。新たな扉が開かれるかも知れませんよ。って、ドコの回し者だよ、オレ。