言葉って、いつ、どうやって出来たんだろう?

おい、山田君!ディカプリオにオスカー像1個あげて!って、全然シャレになってねぇな。完全に無冠の帝王じゃん。スコセッシと組んでるのが悪いのか?デ・ニーロも『タクシードライバー』でノミネートはされたモノの、オスカーは獲れなかったしな。スコセッシ自身は『ディパーテッド』で監督賞・作品賞を獲ってるけど、コレ、元々は香港映画『インファナル・アフェア』のリメイクなんだよねぇ。なんて言うか、ディカプリオにしても、スコセッシにしても、才能ねぇんじゃねぇの?って思うわ。イヤ、アカデミー会員に見る目がねぇってコトにしておこう。次の土日には『ダラス・バイヤーズ・クラブ』を観に行く予定のTARです。それにしても、主演男優賞を獲ったマシュー・マコノヒーって、数年前”マシュー・マコノヘイ”って表記統一されてなかったっけ?



我々より一回りほど歳上の”ビートニク世代”のバイブルというべき小説『裸のランチ』で有名なウィリアム・バロウズは 「言語は宇宙から来たウィルスである」と説いた。(って、オレもさすがに読んでねぇけど)なんてな古いサブカル情報は、この際、横に置いておいて、ホントに「言語はドコから来たのか?」について、学術的ではあるけれど、具体例を用いて分かり易く説明してくれる本をプレゼントされたので、とても面白く読んだ。えらく時間がかかったけど。映画化もされた小説『博士の愛した数式』の作者である小川洋子と、生物学者である岡ノ谷一夫の対談集。小川洋子の小説って読んだコトがなかったけど、「オレが面白がるだろう」と贈ってくれたであろう本。いやぁ、確かに面白かった!だってオレが大好きな雑学が満載なんだもん。


岡ノ谷教授の「言葉とは、オスからメスへの”求愛”から生まれたのではないか?」という『さえずり言語起源論』に端を発する小説家と科学者の対談。それも、両人ともが博学(当たり前か)なモンだから、話題はアッチへ行ったりコッチへ行ったり。だって、学校の授業じゃないんだから、教科書があるワケじゃなし、小川洋子が単なる好奇心で訊いた質問からどんどん横道に逸れて行って、それがまた面白いっていう話題の連鎖。前半は、シジュウカラハダカデバネズミといった”世間ではあまり「アタマがイイ」とは思われていない生き物”による言語的な音の連なりによるコミュニケーションに関する話題なんだけど、クジラやイルカのコミュニケーション方法や、蛾(!)が鳴くコトの不思議みたいな話題まで、良く言えば幅広く、悪く言えばトっ散らかったカンジで対談は進んでいきます。人間のように”文節を使ったセンテンスを前提とした言葉”ってのは、地球上の生物の中で唯一人間だけしか獲得していないらしいぜ。動物でも、天敵が近づいてきたら警告音を発して、群れのみんなに注意を促すってコトはしているけど、それはあくまで”合図”なんだよね。「西の方からライオンが近づいてきてるから注意して!」っていう情報伝達ではない。ココが”言葉・言語”との違いなのかな。意外に「アタマがイイ」と思われがちなお猿さんが、言語を使うってコトがないのが不思議だったね。


正直、前半は具体例がどんどん出てきて、あまりの情報量の多さにアタマの中で処理が追いつかず、なかなか先に進めないというコトが多かったけど、後半になってくると「言葉の始まり」というテーマから外れて、生物としての人間のコミュニケーション術や、個人としての自我の形成といったスケールの大きな話へとシフトしていき、ワクワクしながら読んだ。ただね、解せないのが”言葉”って一言で言っても、「喋る・聞く言葉=音」と「書く・読む言葉=文字」とがあるでしょ?赤ん坊がいつの間にか言葉を習得するのと違って、文字はある程度の学習の成果によってしか習得できない。今の日本じゃ識字率はほぼ100%に近い状態だと思うけど(もちろん、赤子は抜いてね)、昔って「喋れるけど読めない・書けない」ってお年寄が結構居たでしょ?田舎の方なんて特に。つまり、いくら日常生活を営んでいても、文字は学習しないと習得できないってコトじゃない?ココら辺の問題については、ナニも言及されていないんだよねぇ。


読んでる間はワクワクして「うぉぉ!面白ぇ!」って思ってたけど、今思い返すと全然アタマに残ってねぇや。やっぱり、通り一遍の読み方をしてると理解が浅いまんまだ。もっとメモを取りながら読まないと、今のままじゃ話題として使うにはあまりに曖昧だわ。最初はちょっと取っ付きづらい内容も多いけど、自分が何気なく使ってる言葉について漠然と思いを馳せるにはイイ本だと思う。是非、言葉を喋り始めるくらいの年齢の子供が居る人には読んで欲しい一冊です。